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縄文時代のお墓 |
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遺骸をそのまま土の中に埋葬することは、今でもごく一部の地方で見られますが、この時代も、土坑墓と呼ばれる葬法が最も多く、埋葬の姿勢によって屈葬と伸展葬に分けられます。この他にも、甕に納めて埋葬する甕棺墓と呼ばれるものがあります。
手足を折り曲げる屈葬の中には、石を抱いているのもあり、これは甕棺墓にもいえますが、死者の霊を封じ込めて生きている人に害を及ぼさないようにするためと考えられています。
精霊・霊魂などの霊的存在や、自然物・自然現象を畏敬し礼拝する信仰形態は古くからありますが、これらの葬法が初めから畏敬と礼拝の結びついたのではなく、死者は、むしろ恐ろしいものとして忌避されていました。
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弥生時代のお墓 |
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弥生時代に始まる稲作は、前代の原始的信仰を大きく変える事となりました。それは定着して農耕を営むことで、穀霊信仰が生まれたことです。収穫への願いと感謝は、さまざまな礼儀を生じますが、同時に再生の知識も芽生えさせたのです。
この時代も甕棺墓が主流ですが、中には木棺に納められたものもあり、お墓の中に銅鏡・銅剣・玉類などの副葬品が入っているのも見られますが、これは死者の霊に対する恐怖心がいくらか和らいでいることを示しています。
また、朝鮮半島から伝来した物に支石墓があります。簡単に説明すると、大きな一枚の岩をお墓の上にのせるもので、遺骸を土の中に直接納める場合と、石棺や甕棺にする場合があります。
この時代の特徴は、方形周溝墓と呼ばれる墳墓があり、周囲に方形あるいは円形の溝をめぐらしたもので、後に出現する前方後円墳につながるものと考えられます。
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古墳時代のお墓 |
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古墳時代のお墓とその名が示すように、この時代の代表的なお墓は、大阪府堺市にある仁徳天皇陵のような前方後円墳です。こうした巨大な墳墓が造られたのも、生産力が向上して統一国家ができたことによります。
墳墓というのは、土地を高く盛り上げて造った頂上付近に死者を葬るのですが、その形から前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳・中方双方墳・上円下方墳に分類されています。この他にも埼玉県吉見百穴にある横穴古墳のような、山腹にたくさんの横穴を掘った共同墓地のような変ったものもあります。
これらの古墳からは、銅鏡・銅剣・玉類の他に鉄製の太刀や甲冑などの武具、食器やその他の日用品が多く発見されています。これは、死者の霊を恐れている段階から、はっきりとした再生の意識、あるいは来世への信仰があったこと意味していると思われます。
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中世のお墓 |
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大化の改新で、墳墓の造営を戒めた「薄葬令」と呼ばれる詔勅がだされますが、この中には墓の規模や葬儀のあり方などが細かく記されており、ある意味ではお墓の本当の歴史が、この詔勅により開始されたとも言えます。
また、この時代の特徴として火葬があります。火葬は縄文時代にもあったとされますが、仏教が、火葬の風習を伴って、インドから中国を経て日本に伝わって一般化されます。
文武4(700)年に遺言によって僧道昭が火葬にされてから、主として上層階級に広がり、以降次第に庶民にも広がっていきました。
火葬することで、お骨を現在のように骨蔵器に納めて埋葬するのが見られますが、その種類も金属や土器、石や木などがあります。
しかし、庶民にあっては土葬が主で、中には曝葬とか棄葬といった、遺骸を河原とか野山に放置することもあったようです。
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近世のお墓 |
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貴族の中にとけこんでいた仏教は、やがて庶民の中にも浸透していきます。もともと仏教は現世の福徳をいのるものでしたが、在来の神々信仰と混合して行く事で、葬送儀礼と結びつく事になります。
やがて村々の墓に寺が建てられ、寺に境内墓地がつくられることで、庶民が仏教の信仰を深め、江戸時代になって檀家制度として確立するわけです。
土葬の場合は、遺骸を木棺や桶に入れて埋葬しますが、庶民は盛り土をし、目印として木や石を置く程度でした。武士階級では、板塔婆とか石塔婆とかの墓標が全盛となります。はっきりとした墓標が建てられたと言う意味では、お墓の原型がこの時代にできたといえます。
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近代・現代のお墓 |
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明治維新によって、檀家制度は法律の上での根拠を失いますが、人々と寺との結びつきは強く、仏葬も減少することなく、今に至っております。
この時代の特徴としてあげられることは、近代的な公園墓地が出現したことです。それは都市に人口が集中することで、今と同じような土地不足を生じたからです。明治7年につくられた、青山・谷中・雑司ヶ谷・染井等の公営墓地が一杯になると、大正12年には多摩墓地がつくられ、それとともに土葬から火葬へと移行することとなります。
さらに昭和10年には八柱霊園、昭和23年に小平霊園、昭和46年に八王子霊園がつくられました。いずれの霊園も広大な敷地をもち、自然との調和を計りつつも整然と区画された公園墓地です。
しかし、従来からある寺院墓地と公営墓地だけでは墓地需要を解消することができず、民営によって管理・運営される霊園が、次第に増加して近接県にまで拡大しているのが現状です。
また、元号が昭和から平成へと替わったころから生前建墓する方も増え、墓所形態も屋外における平面墓地から、屋内墓所、霊廟、納骨堂といった新しい形態も墓所として定着してきています。
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